哲本哲思

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私的駿台予備学校論

連投企画2日目(通算30登板目)

お品書き

  1. 校風
  2. 学生のイメージ
  3. 講師のイメージ
  4. かつての駿台予備学校

以上この4点について話していこうと思う。

1.校風について

2.学生について

この2点から話を進めていこう。なんと言っても私的に駿台予備学校は予備校という受験を専門とする形態ではあるが、なにか、学問的な深い知識を与えてくれそうなイメージがある。それに伴って学生も進学校中心でお堅いイメージがある。東大御用達の予備校的なイメージが強い。

3.講師について

実際に授業を受けている訳ではないから真実こそ分からないが個人的には駿台文庫の本を好むのでよく手に取るからそのイメージで話すことのする。駿台文庫の本のイメージから予備校の雰囲気(前述した通り)を感じ取っている。

駿台文庫といえばまずは、本の表紙や中身が無機質であることであろう。特に色を多用するわけではなく、まさしくテキストのようなものである。そこが私は好きなのである。最近の本は学生に手にとって欲しいのか変に表紙に凝っていたりカラーリングがうるさいものが多い。いかんせんそのような本は個人的には読みにくいし好かないのだ。なにか、駿台文庫の本からは高尚な何かを感じられずにはいられない。

そのような本を書いているのが講師の方である。詰まるところ、そのような点から講師の方には学問を探求している方、教養に溢れた方のような高尚なイメージがある。バフォーマンスではなく実力、授業力で勝負をされてそうだと思う。

そして、経歴にも目をやると多くの講師の方が大学院に所属しておられた方である。自身の研究内容などに折りに触れておられるのかもしれない。駿台と言えば、大島保彦師のような(以下は伝聞である)雑談を中心とした知的好奇心溢れる授業をされ、学問に対する興味を引き立ててくれるそんな授業を展開しているのだろう。

詰まるところ、イメージにおいて私は駿台予備学校が好きだ。

4.かつての駿台予備学校のイメージ

一言で言えば、大学の前哨戦である。昔は大学教授を兼任されておられる講師も多く、おそらくより学問に近い授業を拝聴できたに違いない。そんな話を聞けば、大学のイメージも付き、より大学入試へのモチベーションは高まるのだろう。

個人的には、伊藤和夫師の著書を現在進行形で読んでいる中での師へのイメージがある。それは、「理論的に英語を読む、理詰めの講師である」というイメージだ。著書からもわかるように、これ以上読めないというほど理詰めで且つ正確さにこだわっておられ、それが随所に著書で発揮されている。構文主義と揶揄され、現代英語の対義語的存在で扱われている師のような英語に対する向き合い方は現代においても重視されるべきだと考えている。なぜなら、英語は、特に、書き英語では、構文を軸に成り立っているからである。それは、整序英作文があるように英語というのは一つの文章で決まるのだ。日本語では無理である。なぜなら、助詞の存在によって語順の入れ替えは自由で同じ意味を伝達することができるからだ。だから、構文をまずは、分析するところから。そして、それを無意識にできるまでやり込む。そこに、英語力上達が見込めるのではないだろうか。(現代の英語教育に関する話題は後日また詳しく触れることにする。)

個人的に、かつて駿台予備学校におられた奥井潔師の講義を拝聴させていただきたく思っている。なぜなら、その講義は、英文から派生した人生訓や文学に関する教養的な講義であったらしいからだ。そんな英語の深い意味内容に踏み込むそんな体験をしてみたいものである。文学部の教授故かそのような授業であったらしい。著書を出されておられるが今は絶版で、中古でも2万円前後する。学生には手を出せない。いつか読みたいものだ。

 

ここまでで駿台予備学校に関する話は終わりにする。どうだっただろうか?

最後に、駿台予備学校つながりではあるが、茂木誠師(世界史講師)の方がYouTubeTwitterで、アメリカ政府がおこなっている中国共産党からモンゴルの文化を守るための署名活動の参加を呼びかけておられたのでここにリンクを貼っておくのでぜひ署名してほしい。私も署名した。これ以上中国共産党の好きにさせてはいけないのです。日本にもいずれ中国共産党の侵略があるかもしれません。まずは、モンゴルへの侵略を止める意味でも署名、そして、拡散よろしくお願いします。

Stop the CCP's cultural genocide in Inner Mongolia | We the People: Your Voice in Our Government

次回は、「私的代々木ゼミナール論」です。