哲本哲思

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連投13日目

歴史編(1)

①興味を持って調べるも、試験に出ないがち。

歴史認識系のトピックで、変に調べたりすると教科書と学者等の言うことが食い違い混同しがち。

③歴史は教科書の行間が一番面白いがち。

④受験歴史についての認識が学生と教師(歴史を専門とする人)では暗記と理解で対立しがち。前者は暗記科目の意識が強いが、後者は、理解に重きを置いている。

⑤国公立二次の論述問題、普通ならしない視点で歴史を見る機会になり勉強になりがち。論述は、良い教材だと思います。経済史をタテで見るとか繋がりの中で世界を俯瞰することができますし。

 

それでは、昨日の続きを始めましょう。

戦争論という本についてです。

私はこの文章を読んで、戦争論を筆者は伝えたいのではなく、おそらく、次のことを伝えたかったのではないかと推測している。

人間には、人間は「こう」であると思う人間像があるが、それとは違う無意識の部分があるということである。人間の生への衝動が戦争を生むのだが、それは、あくまでも種の存続を目的にする戦いだと思う。しかし、かつての戦争でもそうであったように、種の存続(人種)を思うばかり自己をも破壊したことがあっただろう。これは、なぜかといえば、有意識(自己の保存)とは別に無意識(コントロールできない領域)が存在していることにほかならない。自己という自己が存在を求める自己の一部だけを見るのではなく、自己にも分からない無意識の部分があることを知っておくことは必要だと思う。

 

別の話。

できないことをどのようにしてできるようにするかを考えなければならないことを痛感した。合格を手に入れる為には、入試問題が自分にとって得意なことでなくても合格できる水準にまで自分の実力をいかにして高めるかが重要なのだろう。目先の問題に対して解けた解けなかったの観点ではなく、入試で解ければいいのであるから、どのようにしたら解けたのか、アプローチは今後どうすればいいのかを考え、実戦での検証によって解答できるようになれば最善だと思う。いや、しなければならない。

 

今日の話はあまりぱっとしなかったかもしれないが有意識の他に無意識によって突き動かされることがあるということも知っておけば良いと思う。ここから考えれば自分を100%知ることなどできないのだろう。常に、自分は「こう」であるというバイアスがかかった状態を見ているからだ。だから、他人から指摘されて自分でさえもわかっていない自己がわかることもあるのだろう。

バイアスのかかった見方をしないのはかなり難しいことではあるが、なるべくバイアスを溶いて物事が見れるように努力したいものである。