哲本哲思

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投稿21日目(連投3日目)

今日は、駿台予備学校の講義を受けました。やはり、格が違うかなと思いました。学校の教員とのレベル差があることは当たり前だが、他予備校ともレベルが違う。ちなみに私は、Yゼミナールの世界史を受けている。 

以前も書いたかもしれないが、駿台予備学校の世界史は(駿台予備学校全てに当てはまる一般的なものではない)、特に、私の受講したものだが、因果関係を本当に大切にしているなと感じる。おそらく国公立二次の論述に焦点を当てているからだと思うが。なんと言っても面白い。学問的に。Yゼミナールは笑い系の面白い。私は、こう言ってはなんだが駿台予備学校系の講義が好きである。

私は、学生が勉強が嫌いになり、作業化し、暗記ゲーム化している(特に田舎ではあると思うが)のは、学校教育に、アカデミズムも何もないからだと思っている。面白くない。当たり障りのない説明に、因果関係もしっかり教えてはくれない。教えられないのかもしれないが。多少専門的であっても、なぜなのか?の視点が持てればとても面白くなってくるし、覚えやすい。一部の地域では、特に社会では、専門外科目のことを教えている教員もいる。それでは、その教員も可哀想だし、受ける生徒も可哀想だ。

ここで、提案なのだが、教員(特に高校)をより専門化させられないだろうか?確かに、学生との学校生活を楽しみたい系の教員もいるのだろうが、中には、教えることに力を入れたい教員もいる。その人にとって学校業務は煩わしいものに違いないだろう。

おそらく、それなら、予備校や塾に勤めろと言う反論もあるのだろう。しかし、予備校や塾は現在縮小気味。働き口が少なくなっている。ならば、より専門化された教員業務の中で、予備校や塾の講師を招き、常勤させることはできないのだろうか?おそらく、予備校講師や塾講師の中に学校業務を避けたいという理由で、教えることに専念したいという理由で、学校を選択しない人もいるのだろう。かく言う私自身も、その口である。クラスの担任をしたい教員はすればいいし、したくない人はしないというように選択制にできないものだろうか?そこは、給与で差をつければ問題はないような気がする。

教員自体の底上げができれば、予備校などに通えない田舎の学生の学力は飛躍することは期待できるだろう。現状として、学校において、満足する受験対策などできない。そもそも、学校教育とは大学生を生む場所ではないのだが。しかし、現状として、田舎の学生が受験対策を学校に頼らざるを得ない状況もある。受験に対して無知な先生が、付け焼き刃で対策講義をしたところで意味は皆無なわけで、被害者は学生である。

受験と学校教育の関係は難しい問題をはらんでいると言えるだろう。