哲本哲思

読者の方々にあらゆる情報をお伝えいたします。

連投17日目

現代文を考察する(第2回目)

『近代日本と仏教』末木文美士

最近の日本では個人主義的な考え方を重視する風潮があるがそれは過去の歴史でも同じことが起こっていた。

時は明治時代。西欧化の名のもと、西欧思想の流入によって個の確立(以後、日本近代思想)が叫ばれた。しかし、それと同じくして西欧での肥大化した個人主義への反発(以後、日本ポスト近代思想)によって生まれた思想が流入し、また、江戸時代からの前近代的な思想(以後、前近代思想)も併存していた。西欧では、長年の議論から近代思想が生まれ、それに対抗する形としてポスト近代思想が生まれた。しかし、日本では、西欧化による思想の輸入によって2つの相反する思想が併存することになった。個人の確立が上手く成されない状況と個人を超えた何かを必要とした流れの中で前近代的な共同体に心の拠り所を求めた。その中で国家という共同体が重要視され国粋主義などが生まれた。

このことからわかるように、成熟した議論もないままに西欧化を進めた日本は混乱し、自己の確立をすることはできなかった。

その風土で議論され、成熟したときに、生まれる思想だからこそその風土に合うのであり、かつての日本のような西欧と言う全く異なる世界の思想を無議論に取り入れることはむしろ混乱を助長することになるのではないだろうか。

確かに個の確立は大切なことではあるが、それが西欧のものを取り入れる必要はあるのだろうか?日本という世界の中でも独自の文化を持つ共同体において、その風土や人間に合う思想を独自の流れの中で確立していくべきではないだろうか?何でもかんでも欧米に寄せていく現代に私は疑問を持っている。長年をかけて確立された文化や社会構造を無理矢理に崩してまで西欧化する必要はあるのだろうか?

日本の教育においても日本の良さや愛国心を育むことができるような教育を実施してほしいものである。もう、反日教育、刷り込みはやめていただきたい。文化の欧米による植民地化は避けたい。

日本文化が外国人に受け入れられるのは良いが、継承者が減っているのも事実である。日本文化の素晴らしさや誇らしさをもっと日本人に知ってもらうことのほうが、外国人に日本文化を楽しんでもらうことよりも、日本が欧米化することよりも大切なのではないだろうか?