哲本哲思

読者の方々にあらゆる情報をお伝えいたします。

投稿20日目(連投2日目)

今日は、以前紹介した長倉顕太さんにインスピレーションを受けて感じたことを書いていきます。

テーマ: 非常識を常識にする

まず、前提として、これは影響力を高めて自分の考えを浸透させようと言うような話ではない。

常識とはどのよう形成されていくのだろうか?私が思うに、環境に依存せざるを得ないと思っている。当たり前のことかもしれない。

例えば、周りの人が全員東大志望の学校において、東大を志望することは当たり前だろう。しかし、年に一人か二人しか東大に合格しない学校では、東大を志望することは大半の人にとって非常識だ。これは、まさしく、環境が常識を作っている例だ。

何を言いたいかと言うと、夢や目標を達成するためには環境をまず先に作ってしまうことが一番最善なのではないか?と思うのである。自分の当たり前のレベルを無理矢理にでも引き上げることで、以前の常識が非常識になり、高い次元での常識が、自分の常識になる。そうすれば、自ずと以前とは異なる結果が出るのは自明であろう。

受験生にとっても応用できると思う。進学校でなくとも、進学校のような雰囲気を作れば、その当たり前が自分の当たり前になる。どのようにするのか?これは、宅浪をしていて、周りとの比較がないために盲目になりがちな私自身にも当てはまる。

Twitterで周りの環境をアップデートすればいいのである。進学校では、成績優秀は当たり前。難関大志望も当たり前。ならば、その人たちをフォローすればいいのである。ただ、闇雲にフォローしても意味がない。Twitterでは、自分の模試の成績を承認欲求を満たすために投稿している輩がわんさかいる。その輩たちは、例外なく成績が抜群に良い。この輩たちをフォローしていけばいいのである。模試のたびに進学校の当たり前を突きつけられ、自分の常識がアップデートされていくだろう。

さぁ実践してみよう。

環境を変えることの意味は、おそらく、常識を変えること。

環境のせいにするのではなく、求める常識を持つ環境、コミュニティに所属すること、どんどん変えていくことが大切なのだろう。

繋がりやすくなったこの世でこの手は使わない手はないのではないだろうか?

 

既存の常識を非常識に。まだ見ぬ非常識を常識に。

 

最後に、私のモットーを紹介しよう。

「我が人生に革命を」