哲本哲思

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私的予備校論

通算登板回数29回目。今日より始まります。新企画。予備校やそれに派生したテーマについて語っていくというものです。その1日目。「私的予備校論」です。では、始めましょう。(※あくまでも独断と偏見で書いていますので事実と異なる部分がある場合がありましても御了承ください)

 

「私的予備校論」

予備校を語っていくのに当たって私には致命的な欠陥がある。それは、予備校全盛期を経験していないということだ。あくまでも伝聞や推察が多くなってしまうのは避けられないが、そんな時代を憧れの目線を持ちながら語り始めていこうと思う。

人が溢れんばかりの教室に一人の予備校講師がその大衆に向かって講義、いや、もはや規模からして講演会をする。学生は良い席を取ろうと朝から列をなし、講座を取るのに列をなす。そして、後ろの席の者はオペラグラスなどで覗き見ている。今の時代にはすべてなくなったことであろう。おそらくものすごい熱量を感じたに違いないだろう。また、講師も有名講師ともなれば1億円だって稼ぐ。今では業界の縮小に伴ってなかなか厳しいものになりつつあると某英語講師は言っていた。そんな予備校の時代には、個性あふれる講師がいて、また、教え方や考え方までも様々であったと言う。今では考えられないような理論もあったようだ。しかし、私はそんな熱量ある時代の授業を受けてみたいものである。

今、予備校の役割とは何なのだろうか。無論受験屋であろう。また、それを学生も望んでいるのだろう。ただ、私はそれには悲しいものを感じる。一昔前は雑談で学生の心を揺さぶり、琴線に触れるような雑談もあったという。今では、学生は雑談を欲しがらないし学生の熱も冷めている。時代が変わったと言われればそれまでであるが現代の学生はもっと熱くなれないものかとも同年代でありながらも思ってしまう。

長々と雑文を書いてしまっているが、まとめるにあたって私にとっての予備校は憧れの場所である。自分が講師になったら?と考えても、その場の学生では?と考えてもどちらも体験したいなという感覚である。かつての予備校が帰ってくることはもうないのであろうがいつか経験したいものだ。受験屋でありながらも知的好奇心を満たしてくれたり、考えさせられるような話を聞く、そんな場であっても欲しいなと思う。

ここまで読んでいただきありがとうございます。かなり下手な文章、構成になってしまい、特に面白くもない話題であったのに読んでいただいたことに感謝します。次回は、文章、構成共にできる限り工夫いたしますのでお楽しみにしていてください。

新たな連投企画を思いつきましたので後日お伝えしようと思います。