哲本哲思

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エッセイ(5)記憶か身体か

このような状況を想像してみてほしい。

自分には付き合っている人がいる。見た目は自分好みで、性格もよく、隣りにいると雰囲気もなごむ。しかし、ある日その人は事故で記憶を失った。自分との過去の記憶や彼女自身の記憶すべてを。

ここで、彼女についてふと考えた。彼女は記憶を失い、残ったのは身体だけ。目の前にいる彼女は以前の彼女であった彼女ということはできるのか?僕らを繋いできた思い出を失ってもなお、彼女は自分の中で彼女であるのか。それとも異なる人なのか。

 

あなたならどのような解答をするだろうか。

私的には、この彼女はかつての彼女ではないが、自分の中にある記憶がなくなったわけではないので、きっと彼女のことを忘れることはできない、という結論に至ると思われる。やはり、自分の中の記憶や思い出とともに彼女は生き続け、過去の記憶の彼女は存在し続けると思う。

死ということについて考えてみてもそうであると思われる。目の前に身体はないし、生きている証はないが、記憶の中で存在し続けることは、生きていることとして考えることもできなくはないと思う。死者と新たな記憶や思い出を作ることはできないが、回想することはできる。 

ここまでくれば、生きているとはなにか?というような話題に展開していくだろう。

こう考えるのはどうだろうか?「時間を共有できること」生者であれば当然同じ時を共有することができる。死者であれば、過去という同じ時間を記憶の中で共有することができる。

ただ、この考え方にはかなりたくさんの欠陥が含まれております今後変更のの余地は大いにある。一つの考え方として提示したまでであると考えていただきたい。